ハイエース4人家族で車中泊〜ナローボディでも快適なバンライフを〜

ビルダーのカスタムはとても素敵だけれど、紹介写真には荷物が載っていない。実際の車中泊は荷物との闘い。狭苦しい車内をいかに効率的に収納を工夫するか、4人家族でも楽しく快適なバンライフが送れるブログをお届けしています。

車中泊って恥ずかしい?



ナローボディのハイエースをいろいろ工夫して、家族4人で車中泊やバンライフを楽しんでいます。

さて、今回は車中泊をしていて恥ずかしいと感じる場面について考えてみたいと思います。

「恥ずかしさ」の意味

まず初めにお断りしておかなければいけませんが、車中泊は別に恥ずかしいことではありません。
好きなところに行き、好きな場所に停泊して、自由な旅を満喫するのに恥ずべきことは何ひとつありません。
堂々と車中泊しましょう。


と自分で書いておきながら、心の中を探ってみると何だか分からないけど、少しだけ恥ずかしい気持ちがあることに気づきます。

この感じはひょっとしたら私だけの問題なのかもしれません。
でもたしかに車中泊していると時々、何となく人の目が気になるような感じや、周囲に対する後ろめたさのようなものがあるんです。
自分に嘘をついても仕方ありませんので、このちょっとだけ恥ずかしい感じというものの正体が何なのか?少し考えてみることにしました。


このことはもしかすると、現在、車中泊がおかれている課題や数々のトラブルと根っこが繋がっているのかもしれないと思ったからです。


まず、具体的にどのような場面で「恥ずかしさ」を感じるか?を振り返ってみたいと思います。


たとえば、道の駅で車中泊していたとして、朝起きると、他にも当然何組か車中泊している人がいるだろうと思っていたら、自分たち以外誰も車中泊していなくて、大勢の一般の観光客たちからまるで「奇異なもの」を見るような目でじろじろ見られたような時。


たとえば、道の駅で車中泊していて、朝、道の駅の従業員さんらしき人が、「どうせお前たちは何も買わず、レストランも使わず、ただ泊まるだけ泊まってトイレを汚して、さっさと帰っていくんだろう?」というような、いかにもさげすんだ表情でこちらをにらむように見られた時。


たとえば、地方にある総合公園の駐車場で車中泊していたとして、夜は私たちだけの貸し切り状態だったのですが、早朝から地元のゲートボールの元気なお年寄りたちが大勢公園にやってきて、私たちの車を物珍しそうに見ていかれたような時。


たとえば、オートキャンプ場を車中泊場所に選んだとして、キャンプ場で自分たちだけテントを張らず、車1台にタープだけ張って過ごしていると、「テント張らないならキャンプ場にくる意味ないじゃん。」と言わんばかり、まるで小ばかにしたような表情で通り過ぎていく他のキャンパーたちの視線を感じた時。

「恥ずかしさ」の正体

前述したような、いくつかの状況に共通しているのは、一つは「人の目」です。

でも、同じように車中泊していても、高速道路のサービスエリアや、車中泊歓迎のRVパークなどで車中泊している時にはこのような人の目はまったく感じません。なぜならそうした場所では、車中泊が当たり前のこととして受け入れられているからです。そのような状況では人の目は気にならないということが分かります。

この「人の目」に対する恥ずかしさのさらに奥の方を覗いてみると「人と違うことをしている」という感覚につながります。それは言い換えれば、「世の中の暗黙のルールを少しだけ破っている」ような感じ、と言うんでしょうか。そのことに対するうしろめたさのようなものが見えてきます。
いや、別にルールは破っていないんですけどね。

「世の中の暗黙のルール」では「ここは車中泊をする場所じゃないよ」と何となくみんなが思っているわけです。そういう「本来は車中泊する場所じゃない場所」で車中泊していることに対するうしろめたさ、という感じでしょうか。

「ここは車中泊してはいけない!」と明らかに間違っているほどではないけれど、どちらかというと人々からは「好ましくない」感じに受け取られてしまっている。そのことを自分たちも心のどこかでは実感している。そういうちょっと綱渡りな感じの上に、車中泊は存在している部分があって、その綱渡りな感じから押し寄せてくるのが「恥ずかしさやうしろめたさ」のような感覚なのかもしれません。


最初にも書いたように、車中泊は別に法に触れるようなことをしていない限り、誰にも文句を言われるものではないはずなのですが、いまだ世の中においては、何となく車中泊というものを認知はされているが、決して大歓迎されているものではない、どちらかというと車中泊は、人々にやや警戒感を抱かれやすい存在なのかもしれません。

そのことの根っこには、公共の駐車スペースを買い物や観光ではなく「宿泊」のために長時間独り占めしているという状況があります。いくら無料の道の駅でも、みんなが使う場所ですから、たとえばゴールデンウィークのような大混雑する時期に、駐車スペースを独り占めして何泊もそこに連泊したら、それは白い目で見られます。明らかな法律違反ではないのでみんな黙っていますが、心の中では「あいつらは自分勝手な奴らだ」と大多数の人が思ってしまいます。それが車中泊に対する現在の評価なのです。

「自分はそんなことをしない。混雑するときはそういう場所を選ばないし、人の迷惑にならないようにひっそりと車中泊を楽しんでいる。」という人でも、世の中からは「車中泊をする人」というくくりで見られてしまうので、やはり、何となく肩身の狭い思いをしてしまうわけです。


私は、道の駅で車中泊をするのは、上記のような理由からあまり好きではありません。道の駅を選ぶときには、かなり慎重に自分の中のセンサーを働かせて、ここの道の駅は大丈夫そうか?チェックするようにしています。

大丈夫そうか?というのは、車中泊に対する嫌悪感が漂っている場所ではないかどうか?ということです。

それともう一つ、車中泊をするときになるべく気をつけるようにしていることは、できるだけ「車中泊をしている」という存在感を消すようにすることです。

できれば車ごと透明人間になれたらいいのにと思うことがあります。

別に悪い事をしてるわけじゃないのにコソコソするみたいですが、防犯上の対策も含めて、いかにも「車中泊してます感」を出さないようにしておいた方が、結果的に周りも自分たちも気持ちよく過ごすことができます。
要は、なるべく現地で人の目にとまらないように過ごすことです。


擬態というか保護色というのか、車ごと周りの環境に溶け込んでしまえば、中で車中泊していることには誰も気づきません。

何も本当に車を迷彩色にするわけじゃないですよ(笑)
具体的にはキャンプチェアやテーブルなどの道具を出さないようにするとか、明らかに寝泊まりしていると分かる恰好で車の外に出ないとか、リアゲートを開けっぱなしにしないとか、ドアや窓を開けはなして車内を見せないようにするとか。

あとは、道の駅に泊まった時や地方をお邪魔して泊まらせてもらったときは、できるだけそこのお店や地元のお店で何か買い物をして、地元で少しでもお金を使うようにしています。これはただの自分の中のマイルールですが、せめてもの感謝と恩返しの気持ちです。


車中泊の生活感を人に見せないようにするというのは、ある意味人々への配慮でありエチケットでもあると思います。
なぜなら車中泊は、それをしない人たちからすると、やや奇異なものとして映るからです。


車中泊は「おならやゲップ」みたいなものといえるかもしれません。害ではないけど、やはり人前でおならやゲップはひんしゅくです。
「べつにいいじゃねえか」と開き直られたら、周りの人は口に出しては何もいいませんが、顔をしかめます。


車中泊はなるべくひっそりと。

人前でのおならやゲップはなるべくひっそりと、に通じる社会のマナーかもしれません。



車中泊という文化が、広く世の中の人々に認知され歓迎されるには、まだかなり道のりは遠いと思います。
人々の心の中の、車中泊に対するメーターの針は、ちょうど真ん中あたりを行ったり来たりしているくらいでしょう。つまり、好きでも嫌いでもどちらでもない。そんな中で一度でも何か悪いエピソードに遭遇した人は車中泊を毛嫌いするでしょう。そのようにマイナス側にはすぐ傾くけれど、プラス側にはなかなかメーターの針は振れにくいのが車中泊の宿命だと思います。


いつかどこでももっと自由に、堂々と車中泊ができる日がくるように、そして車中泊の文化が定着し受けれられるように、自分たちにできることを少しずつ心がけていきたいと思いました。


最後まで読んでいただきありがとうございます。

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