ナローボディのハイエースをいろいろ工夫して、家族4人で車中泊やバンライフを楽しんでいます。
本日は地元滋賀のそば事情とおすすめのおそば屋さんについて考えてみたいと思います。
滋賀の麺文化
よく「関西はうどん文化、関東はそば文化」などと言われますが、関東で蕎麦が流行り始めたのは江戸時代以降のことです。うどん、そばの分布やそのルーツをたどると、うどんは北九州から四国、瀬戸内、伊勢など太平洋側の地域に広く分布し、一方、そばの方は出雲から山陰、福井、越前、信州、東北など日本海側を中心に広がっていることが分かります。
このことは、それぞれの原料である小麦粉やそば粉の原産地から考えると、小麦が東南アジアやインドなど南方からの伝来であるのに対して、そば粉はユーラシア大陸の寒い地方で作られ、朝鮮半島を経由して伝わり日本海側を中心に広まったという流れが見えてきます。
こんな風に、地元で食べられる食文化から日本の歴史を紐解いてみるのもなかなか面白い視点かもしれませんね。
さて、それでは琵琶湖を有する滋賀県の麺文化はどうか?というと、これがまあ見事にごちゃ混ぜ(笑)
「のっぺいうどん」「焼き鯖そうめん」「多賀そば」「近江ちゃんぽん」などなど。あらゆるジャンルの麺類が登場します。
なぜこのようなことが起こったのでしょうか?
物と情報の中継点「近江」
琵琶湖を中心とした近江地方は、古くから物と情報が集まってくる中継点だったと考えられています。地理的に日本のほぼ中央に位置し、日本海からも太平洋からも比較的楽に入ってこれる位置に琵琶湖という巨大な湖があります。
湖北へは若狭や福井県から海産物と鉄が入ってきました。
湖東には東海道と中山道の2つの街道が通っていて、近江地方を経由して西と東を結んでいます。近江から鈴鹿山脈を越えれば三重や伊勢とも繋がっています。
そして琵琶湖の南側は宇治川を通って京都伏見へ、そして淀川で大阪湾まで続いていくのです。
古代から中世にかけての日本では、主要な交通手段は船でした。つまり今よりもっと水上交通が盛んに行われていたと考えられています。
北九州から瀬戸内を通って大阪の港に入ってきた荷物は、淀川を上って琵琶湖まで運ばれ、さらに彦根や湖北の港へ繋がっていきます。
逆もまた同じように日本海側からの荷物は若狭や小浜から湖北に入り、琵琶湖を船で運ばれて淀川で京都や大阪に至るのです。
奈良や京都にみやこが置かれる前、日本で最初のみやこが「大津京」に置かれたことからも、この地方が交易の重要拠点だったことがうかがえます。
さまざまな物がここを行きかい、人や物の動きにともなって地方の文化が近江にもたらされた結果、麺類についてもさまざまな麺類が滋賀で食べられるようになったのではないか?という気がします。
滋賀のそば食べ比べ
さて、話しが逸れてしまいました。
今日のテーマは「そば」です。
滋賀県はそばの産地というほど盛んにそばが作られているわけではなかったようです。肥沃な琵琶湖周辺の土地では、古くから米づくりが盛んでしたから、寒冷地でも育つそばを、わざわざ肥沃な大地で作る必要がなかったのかもしれません。
そば好きの私としては、地元の近くにそば屋さんがあってくれると嬉しいのですが、美味しいそばを食べようと思うと少し離れたところまで足を延ばさないといけないのです。
今回、「滋賀で美味しい」といわれるおそば屋さんを2軒食べ比べてみましたので、実際のところどうなのか、簡単にレポートしてみたいと思います。
多賀地方「百百百百(どどもも)」
百を4つ重ねて「どどもも」と読むそうです。彦根市の東、中山道の鳥居本宿にある古民家住宅を改装しておそば屋さんを営まれています。国道から細い道に入っていった目立たないお店にも関わらず、遠方からはるばる食べにやってくる人で常に行列のできる人気のお店です。
私たちが訪れた時は日曜日の11時40分くらいでしたが、お店の奥にある第二駐車場に何とか車を停めることができ、それから約40分ほど待ってようやくお店に入ることができました。
開店時間の11時過ぎから行列ができ始めるみたいです。
食べ終わって店を出た13時過ぎにはもう売り切れ閉店になっていましたから、行くなら早めの行動が吉ですね。
そば粉は全国各地のものを取り寄せてブレンドして使っているそうです。
そばは全て十割そばで、玄ソバから皮も一緒に挽いた「挽きぐるみ」と、皮を除いた中身だけの「丸抜き」の2種類がありました。
私は挽きぐるみの方をいただきました。そばの殻ごと挽かれた挽きぐるみの方が、よりそばの風味が引き立つのです。殻ごと挽かれたそばは、薄く伸ばしたときに麺の表面が少しでこぼこして、茹でられたそばを見るとそのでこぼこがはっきり分かるほどです。
そばの殻が混じるため食感が悪くなると言われることがありますが、私はそれも含めてそばの旨さのような気がするのです。特に十割そばをすすったときの、少し唇にひっかかるような独特の乾いた感じが好きで、小麦粉の割合が多いそばはもっとつるつるした滑らかな感じがして、少し物足りない気がします。
十割そばをゆでた証しともいえる、ドロッとした濃いそば湯が出てきました。十割を打つとどうしても打ち粉の量が増えるので、ゆで汁もドロッと濃くなります。
最後に出てくるそば湯が白湯のように薄いと少しがっかりしてしまいますが、今回は大満足のそば湯でした。
百百百百さんの建物は、文化庁の登録有形文化財に指定されている古い建物で、庭も風情を感じる素敵な佇まいでした。
滋賀に来られたら是非一度立ち寄ってみられてはいかがでしょうか?
三井寺参道「開運そば」
ネットで「滋賀 おそば おすすめ」と入れると、検索上位に必ず登場するのがこちらの「開運そば」。浜大津の三井寺近くにあるそば屋さんです。
円満院というお寺の敷地の中にあるおそば屋さんで、駐車場もお寺の駐車場と兼用になっていました。初めこれが分からず、私たちは三井寺の有料駐車場(500円)に車を停めて少し歩きました。
案内が出ているとありがたかったのですが。
なかなかおもむきのある入口です。
赤い布をかけた床几(しょうぎ)が置かれていて、ここで順番待ちをするようです。
私たちが訪れた時はたまたま待ち人がおらず、すぐに入ることができました。とても人気のお店らしく、帰るころには長い列ができていました。
店内は吹き抜けの高い天井に、土間の靴脱ぎからすぐに板の間のお座敷へ続いていて、テーブルが5つほどというこじんまりした作りのお店でした。
天ざる定食の大盛
こちらは開運そば定食の大盛
メニュー表をみて、開運そば定食という名前から「きっとこの店の看板メニューに違いない」と勝手に想像して、美味しい盛りそばが出てくるものと思っていたら、温かいお蕎麦とかやくご飯のセットでした。
美味しいお出汁の効いたつゆとコシのある麺、かやくご飯も含めて、上品な京風の味付けでした。
奥さんが注文した天ざるの方も少し食べさせてもらいましたが、どうやらこちらのおそばは手打ちではなさそうな気配です。
どこかの製麺所から生麺を仕入れて茹でているのかもしれませんね。そば湯も出てきましたが、サラッとした白湯に近いそば湯でした。
いや、これはこれで十分美味しいおそば屋さんだとは思うのですが、そば粉十割の本格手打ちと比較してしまうと正直ちょっと見劣りしてしまいます。
同じおそばでも、こちらは京風そばという少しジャンルが違うものとして捉えた方がいいのかもしれません。
おそばというのはやはり奥が深いですね。
ああ、また美味しいそばが食べたくなってきました(笑)
せっかく開運そばを食べに行かれたなら、三井寺にも立ち寄ってみてください。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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