ハイエース4人家族で車中泊〜ナローボディでも快適なバンライフを〜

ビルダーのカスタムはとても素敵だけれど、紹介写真には荷物が載っていない。実際の車中泊は荷物との闘い。狭苦しい車内をいかに効率的に収納を工夫するか、4人家族でも楽しく快適なバンライフが送れるブログをお届けしています。

大雪寒波で車内に缶詰め~これは災害だ


ナローボディのハイエースをいろいろ工夫して、家族4人で車中泊やバンライフを楽しんでいます。


日本列島を襲った昨日の大寒波。10年に1度のレベルという寒さとともに列島を覆った雪雲によって、午後から次第に雪と風が強くなり、帰宅途中の人々を襲いました。今日は、そんな大寒波に巻き込まれたお話しです。

選んだ選択肢がすべて裏目に

事前にニュースでも散々取り上げられ、気象庁も記者会見を開いて大雪に十分注意するよう呼びかけていたにも関わらず、サラリーマンというのはなかなかいつもの行動パターンを抜け出せないもので、結局、いつもと同じような退社時間になってしまったのでした。何とかいつもより1本早いバスに乗り、地下鉄までの道のりを急いだのですが、この時点ですでに道路は白く雪に覆われはじめ、雪と風が横殴りに吹きつける景色は、まるでこれからおこる悲劇の前兆のようでした。


京都駅に到着したのが18時少し前で、すでにJRは人であふれかえり、ホームに上がる階段のところで入場制限がかかってしまっていました。何とか群衆をすり抜けてホームに上がれたのが18時30分ごろのことです。すでに各電車は大幅に遅れていて、もはや○時○○分発などという表現は何の意味もなさなくなっていて、人々はとにかく今目の前にきた電車に乗って、自分の家がある方角に向けて少しでも近づこう、という期待が入り混じった気持ちで身体を無理やり満員電車の中に潜り込ませていました。


ダイヤは大幅に乱れ、ホームで1時間以上待っても一向に電車が到着しないので、JRで帰るのをやめて別の手段を考えようか?と少し考え始めていたのですが、「ここは焦らずもう少し待とう」と腹を決めて更に待つことにしました。この時に違う選択肢を選んでいたら、こんな酷い目に遭わずに済んだかも知れませんが、後から言っても仕方ありません。


ようやく1時間40分遅れで普通電車が到着しました。「これが本日の最終電車となります。他の列車は全て運転取りやめとなっております」とのアナウンスに、何が何でもこれに乗らなければという気持ちになっていました。

ラッキーなことに座席に座ることができ、10分ほどの信号待ちのあと列車は音もなく静かに発車しました。
そうなんです。不思議なことに、いつもきこえる「ガタンゴトン」の音が今日はやけに静かなのでした。これが不幸の始まりとは誰も気づいていなかったと思います。


まだこの時は、「何とか電車にさえ乗れれば最寄りの駅までは連れて行ってくれるだろう。あとは奥さんに駅まで迎えに来てもらおう」などと妄想していたのですが、京都駅を発車し、東山のトンネルを抜けて山科まであと2kmほどのところに差し掛かったところで、電車は速度を緩め、やがて、雪が吹きすさぶ線路上に完全に停車してしまいました。乗客は内心に不安を抱えながら、無言で車掌のアナウンスを待っています。


「現在、山科駅の手前で信号待ちのため停車いたしております。発車までしばらくお待ちください。」「現在、状況の把握に全力を尽くしております。」


どうやら、乗務員もまだ事態が把握できていないようでした。時刻は20時を少し回ったところです。おやつに持ってきていたビスケットを何枚か食べて空腹は少し和らぎましたが、この先どうなるんだろう?という不安で、身体が妙に緊張してこわばるように固まっていたのを覚えています。

これはもはや災害だ

それから1時間経っても電車は全く動きません。窓から見える隣の線路が、次第に雪に埋まっていくのが見えました。
さらに1時間が経ち、周囲は完全に真っ白な閉ざされた世界になってしまいました。今回のような着雪しやすい湿ったタイプの雪が線路の上に積もると、解けずに圧雪されて固まった雪が凍ってしまって、脱線やポイントトラブルの原因になり大変危険なのです。


時折、車掌がアナウンスで「引き続き全力で、状況の把握を呼び掛けております。」「何とか山科駅まで列車をピストンできないか模索中ですが、指令センターから返信がない状態です。」など、申し訳なさそうな口調で詫びながら状況説明してくれます。必死に繰り返す車掌が気の毒になってくるほど、事態は何も動かないままでした。


22時を回ったころ、「今停まっている車両の前に別の車両が2台いて、山科駅でポイントが雪のために凍結してポイント切替ができない状態になっている。」
「ポイント切替は2か所故障して、1カ所は復旧したがもう1カ所が依然動かない。復旧に全力を尽くしているがめどはたっていない。」といった内容のアナウンスがありました。これはまだまだかかりそうです。この時点で乗客を列車からおろしてもらえていれば、歩いて山科駅まで行って地下鉄や京阪を使う手段もあったのですが、乗務員は安全確保のため列車を開けようとはしません。


発車してから2時間ほど座っていたので、長い時間立ったままの他の乗客に席を譲ってあげることにしました。
あちこちで、辛そうな顔をしてうつむいている乗客の姿が見えます。

何も言わず黙っている日本人というのは我慢強いなあ、としみじみ感じた瞬間でした。みな、文句を言わず、誰のせいにもせず、ただ黙って列車の中で待ち続けています。


幸いトイレはまだ催してこなかったのですが、まだまだ長くなりそうだったので一度トイレに行っておこうと思い、トイレのある車両まで移動することにしました。私のいた車両は前から2両目で、トイレがあるのは反対に一番後ろの車両です。すし詰めの車内を人々に頭を下げながらトイレに向かって移動を始めました。かなり長い距離をかき分けて進み、あと2両というところまできたところで前の人から「ここがトイレ待ちの最後尾です」と言われました。既にトイレ待ちが数十人以上並んでいる様子です。トイレまではまだあと車両2つ先。もしもトイレ我慢ギリギリの身だったら絶望的だったことでしょう。早めに移動を始めておいて良かったです。

おそらくその後トイレ待ちに2時間以上並んだと思います。
ようやく自分の順番がきて、そそくさとトイレを済ませた時点で午前0時30分を回っていました。
いま来た満員電車の中を元の車両まで戻るというのは絶望的に思えましたが、後ろの車両と比べれば先頭の方はまだ比較的混み具合がましだったので、何とか頑張って乗客の間をすり抜け、元の車両にようやくたどり着いたころには、列車停止から5時間以上が過ぎようとしていました。


あちこちで体調不良を訴える乗客が出てきていて、ようやく救急隊がレスキューに駆けつけ、体調のすぐれない人たちを担架で搬出していきました。
午前1時を回ったころ、場内アナウンスで「乗客を一番前の車両から徐々に外に出てもらい、山科駅まで歩いて移動してもらいます」というアナウンスが流れました。「今さらこんな時間に開放されて山科まで行けたとしても、そこからどうやって帰ればいいんだ?」と思いましたが、このまま混みあった車内にとどまるよりは「動く」方を選びました。


寒空の線路上にまたしても立ち往生


私が列車を降りたのが午前1時30分ごろでした。
車内は暖房と人いきれで暑いくらいでしたから、外の新鮮な夜の空気はしばらくの間すがすがしく感じましたが、圧雪されてツルツル滑る枕木の間を少し歩き始めたところで、いきなり行列が立ち往生してしまいました。
列車の中にいた時は気づいていなかったのですが、どうやらここは跨線橋の上だったようで、駅まで行くには橋から点検用のスロープをつたって一般道へ降りる必要がありました。その道のりは険しく、しかもツルツルと非常に危険で、1人ずつ慎重に降りなければならなかったのです。

私たちは列車を降りた場所でまた長い間立ち往生となり、結局山科駅にたどり着いたのは午前4時ころでした。列車を降りてから寒空の下に2時間半もいたことになります。身体はすっかり冷え切り、飲まず食わずで疲労もピーク。しかも駅に着いたといっても列車は動いていないので、このまま駅にいてもどうすることもできません。

京都市が急遽手配したという、駅近くにある市の公共施設を避難所として使わせてくれたので、そこまで移動して朝まで時間をやり過ごすことにしました。


夜中だというのに山科周辺は昼間のように煌々と消防や救急隊のランプが点滅し、けたたましくサイレンを鳴らして行き交う救急車両や、隊員が交わす無線のやり取りの音を聞きながら「まるで映画でみるニューヨークかどこかの大都市のワンシーンのようだな。」と感じる一方、つい先ほどまでその災害の只中にいたというのに、開放された途端、あっさり突き放されてしまったことで、「災害っていうのは結局は自分で何とかするしかないんだな。」と少し頭を打たれた気がしました。
JRはホテルの用意もシャトルバスも何も手配はしてくれません。雪による立ち往生はあくまで天災であり、JRのせいではないのです。


避難場所で市が配ってくれたカロリーメイトと水でとりあえず空腹を満たし、少しだけ目をつぶって身体を休めてから、私は早朝の地下鉄に乗って、自宅ではなく再び職場を目指すことにしました。このまま待っていてもJRは当分復旧しないでしょう。


雪で路面が凍結している以外、街ではいつも通りの朝が始まっています。
地下鉄に乗り合わせている満員の乗客たちは、昨日長い時間災害の中で共に過ごした人たちではないんだな、と思うと、少し寂しい気持ちになりました。
同じ時間を車内で過ごした人同士、ほんのひと時ですがそこには一種の連帯感のような空気があったのです。

今回の出来事から得た教訓は、いつも言われることですが、「災害は突然やってくる。」ということです。そして、いざ帰宅困難者になった時には、自分たちの力で何とかするしかないのです。私は今回たまたま少しの食べ物と飲み物、歯磨きセット、そして携帯電話の充電器をカバンに入れていたのでそれが役に立ちましたが、普段飲んでいる薬やコンタクトレンズの保存液などがなかったので、長い時間コンタクトレンズをはめたままでとても不自由をしました。
これは誰にでも起こる可能性があることで、そういう時のために、最低限の必要品はコンパクトにまとめてカバンに入れておく必要があると感じました。


それから、もう一つ大切だと感じたのは回りの人との会話やコミュニケーションです。災害にあった列車の中で、初めのうちは見ず知らずの他人同士みんな黙ったままシーンとしていたのですが、ちょっとしたことをきっかけに隣の人や回りの人と少し会話したり、情報をやりとりするようになると孤独感が和らぎ、少し会話をすると打ち解けて笑顔やユーモアが出たりして、そんなちょっとしたことでも人はとても救われるんだなと実感しました。逆に人とのコミュニケーションを避けようとする人もいましたから、強制することではないと思いますが、こういう時こそ少し勇気をもって自分から声を発してみると案外他にも同じことを感じている人がいたりして、それだけでも救われた気持ちになります。


助け合いのこころが大切だということを改めて感じました。


最後まで読んでいただきありがとうございます。

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