ハイエース4人家族で車中泊〜ナローボディでも快適なバンライフを〜

ビルダーのカスタムはとても素敵だけれど、紹介写真には荷物が載っていない。実際の車中泊は荷物との闘い。狭苦しい車内をいかに効率的に収納を工夫するか、4人家族でも楽しく快適なバンライフが送れるブログをお届けしています。

旅も折り返し〜網走番外地編

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ナローボディのハイエースをいろいろ工夫して、家族4人で車中泊やバンライフを楽しんでいます。


丸瀬布いこいの森でアクティビティを楽しんだ翌日。この日は、北海道キャラバンの5日目にあたります。早いもので北海道旅ももう日程の半分を過ぎてしまいました。
今日は紋別から網走へ出て、網走監獄を訪問する予定です。

今日も雨〜曇りの1日


朝の気温は20℃を少し下回る涼しい目覚めでした。
今回の北海道旅は全体の8割ほどが雨〜曇りというあいにくの天候で、この日も朝からどんより曇っています。予報は雨。
天候だけは自分たちの力ではどうすることもできません。諦めが半分と、せっかく北海道まで来たんだから楽しまなくちゃという貧乏根性が半分。


次にいつ来れるか?
いやもう二度と来れないかもしれない。
せっかくの北海道がこんな悪天候続きとはなかなか受け入れがたいのでした。
でもね、たしかに太陽は恋しいですが、陽が出れば出たで今度は暑さとの闘いですから、日が陰って過ごしやすいという意味では、これくらいの気候の方がかえって良かったのかもしれません。
そうやって自分を言い聞かせるのでありました。

紋別から網走へ

さて、丸瀬布から網走へは、紋別を経て1時間ほどの距離になります。

街のあちこちに「返せ!北方領土」の看板がありました。北方領土というキーワードを町の中で見かけるなんて、さすがオホーツクならではの光景です。知床の海からは、晴れていれば国後島が見えるそうです。


網走に向かう前に、紋別にある「はまなす通り」という小さな繁華街を訪ねてみました。

昼間なので通りはひっそりしていましたが、北の町のネオン街の雰囲気を少しだけ感じることができました。スナックの看板が並ぶ下り坂の向こうにオホーツクの海が見えます。


明治に造られた網走監獄

網走といえば網走刑務所です。高倉健さんの映画「網走番外地」にも描かれた、北の果ての刑務所です。現在も網走刑務所には服役中の人たちが収監されていますが、今の網走刑務所は昭和~平成にかけて建設された比較的近代的な建物で、かつての古い監獄は別の場所に移築されて、当時の雰囲気を知ることができる博物館として一般公開されています。


網走に来られた場合、現行の網走刑務所とかつての網走監獄の2か所あるので、行き先を間違えないように注意が必要です。現行の網走刑務所は「北海道網走市三眺」にあり、一方、監獄博物館は「北海道網走市呼人」という、天都山という山の中腹に建てられています。
明治~昭和の網走監獄の様子を知りたいなら、ぜひ監獄博物館を訪ねてみられることをおすすめします。




監獄のまわりはレンガ作りの高い塀に囲まれています。


広い敷地内に木造の建物が放射状に建てられていました。


暗く長い廊下に沿って、囚人たちが収容される部屋が並んでいます。


板の間の3畳ほどの小さな部屋には一応仕切られたトイレがあり、明かり取りの窓もありました。ただし、1人1部屋ではなく1部屋に3人くらいずつ収容されていたようです。

それにしても、どうでしょう?この人形たち。博物館のあちらこちらにこうした人形がいて、彼らが監獄の生活を伝えてくれています。
北の果ての監獄の辛く悲惨な様子をイメージしやすいように人形を置いてくれているのですが、当時の悲惨さとは対照的な、どこかユーモラスで少し滑稽な囚人たちの人形。
ある意味、彼らの存在に少し救われたというか、監獄の生々しい悲惨さがとても重たかっただけに、彼らの姿が少し辛さを緩和してくれているように感じました。
ここで暮らす囚人たちの先の見えない暗く長い月日を思うと、それだけで心がどーんと重たくなってしまいます。
そりゃたしかにみんなかつて罪を犯した罪人なんですけどね。全身入れ墨の極道者もいれば、戦犯といわれる軍人なども収容されていたそうです。




浴場の様子も再現されていました。
囚人たちにとって入浴は数少ない楽しみだったそうです。



監舎の外には、いわゆる独房といわれる個別の収監施設がありました。

レンガで覆われた小屋の中に二重鉄格子の扉。窓もなくトイレもありません。
監獄内でルールを破った囚人はここに移され、2週間ほど真っ暗闇に閉じ込められたそうです。食事は重湯だけ、光が一切入らない部屋は真っ暗で、臭く不衛生極まりない環境だったようです。


北海道開拓を支えた囚人たち

明治から大正にかけて、網走監獄に連れてこられた囚人たちは、北海道内に道路を作る使役労働に従事させられたそうです。
囚人たちはいくつかの部隊に分けられ、班ごとに競い合うようにして道路開拓を急がされたといいます。
折しも日露戦争の頃、富国強兵という国を挙げての開拓事業の一環として、北の大地の道路整備は攻めてくるロシア軍を迎え撃つために必要不可欠な整備事業だったことでしょう。囚人たちは未開の荒れ地を開墾し道を切り開いていくためのなくてはならない労働力だったそうです。

日本各地から罪人たちが網走へ送られ、ここで使役労働に従事し、そして大勢の人が病気や怪我や栄養失調で死んでいったといいます。
今、私たちが通っている北海道の道や鉄道や建物が、かつて網走監獄に収容されていた罪人たちの命と引き換えに開拓されていったという歴史を知るだけでも、十分ここを訪れる価値があると思います。

材木を三角形に組んだだけの簡易作りの移動宿舎がありました。これは、道路を開拓する罪人たちが寝泊まりするための移動式の小屋だったそうです。むしろを敷いて折り重なるように雑魚寝し、食事は立ったまま、移動中は風呂もなしという生活。さぼれば監視人たちのサーベルが容赦なく振り下ろされたそうです。
こうした簡易宿舎はタコ部屋(タコ壺のように一度入ったら出られないという意味からきているのだとか)と呼ばれ、後々、土木作業や建設会社などで低賃金で働かされる日雇い労働者たちの寝泊まりする場所の原型になっていったようです。



いろいろと感じることの多い網走監獄訪問となりました。
罪を償うということ。罪に対する懲罰というものの意味。懲罰という名の「こらしめ」や「強制労働」の歴史。
人を裁くのも人なら、懲らしめと称して強制労働をさせるのも人でした。
人が人を奴隷のように使って働かせるという構図の中には、ルールなど存在しなかったことでしょう。管理する側の人間の中にある「陰湿さ」や「はけ口」が、懲罰という正義の名のもとに、おそらく何でもありの傍若無人ぶりが発揮されたことでしょう。

人がその立場に立った時、人は誰でもそうなってしまうものなのでしょうか?
私も?と思うと、自分自身が怖くなります。
人の弱さというものを思い知らされた網走訪問でした。

本日の走行距離 152.8km
丸瀬布~紋別~網走~東藻琴


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