ハイエース4人家族で車中泊〜ナローボディでも快適なバンライフを〜

ビルダーのカスタムはとても素敵だけれど、紹介写真には荷物が載っていない。実際の車中泊は荷物との闘い。狭苦しい車内をいかに効率的に収納を工夫するか、4人家族でも楽しく快適なバンライフが送れるブログをお届けしています。

車中泊に対する世間の見方




ナローボディのハイエースをいろいろ工夫して、家族4人で車中泊やバンライフを楽しんでいます。


さて今回は、車中泊をしない一般の人々から見て、車中泊というのは一体どのように映っているのか?ということを考えてみたいと思います。

一般人から見た車中泊

すでに車中泊を楽しんでいる人にとっては当たり前のようなことも、それを経験した事がない人からすると、とても奇異なものに見えることがあるかもしれません。
車中泊というものを一度外から客観的に見てみると意外な気づきがあり、それはもしかしたら、これから先の車中泊ライフに何かしら教訓をもたらしてくれるかも知れません。


以下は車中泊に対する世の中の辛口のコメントを集めてみたものです。どうか気を悪くなさらずに読み進めてください。

車上生活者(ホームレス・難民)と同じじゃないか?

「車に家財道具を満載している軽ワンボックスをたまに見かける」
「汚れたスエットパンツとトレーナー姿の無精髭の男の人が車から降りてきた」
「こちらは用はないのに気安く声をかけてきて怖かった」
「車からくさい臭いがする」(笑)

これはちょっと極端な例ですが。
ある意味本当に車上生活者と言えそうです。


ただ、ここまでひどくはなくても、車中泊をしていると、寝ぐせ、無精髭、ジャージやスエット、あるいは寝巻き姿のまま車から降りてきて、そのままトイレへ歩いていく人は時々見かけます。
また、トイレの洗面台で歯磨きや洗面をして長い時間洗面台を占領していたりすることもあります。同じく車中泊をする私が見ても、これはルール違反だよなぁ。。。と感じますから、一般人からみると、「こいつらは非常識なやつ」というレッテルを貼られても仕方ありません。


これが車中泊全体に対するイメージにつながり、だから車中泊=車上生活者と結びつけられてしまうのだと思います。

ホテル代をケチって貧乏旅行してるんでしょ?

こういった種類の批判的な口コミは他にもいろいろありました。
例えば、「狭い車内で寝泊まりして一体何が楽しいの?」とか
「不便を楽しむストイックな変態でしょ」とか。

こういった世間の見方については、あまり気にかけず放っておけばいいと思います。
車中泊の楽しみや、車中泊の機動性や、自分たちで能動的に旅を作っていける自由さや、無駄なものにお金をかけずにその分を価値あるものにさく贅沢さや。
そういうことを体験した事がない人が抱く車中泊へのイメージなだけですから、それは気にする必要はありません。

「うーん、そうでもないんだけどねー」と適当にあいづちを打っておけばよろしい。

ホテル泊と車中泊の共通点/異なる点

さて、車中泊をする人はまったくホテルや旅館を利用しないか?というとそんなことはなくて、行き先や目的によってはホテルや旅館を利用することももちろんあると思います。
車からパジャマ姿のまま降りてきてトイレに行く人のことを先ほど書きましたが、ホテルに泊まっていてもパジャマ姿やスリッパのままエレベーターに乗りロビーやレストランへ行く人はいます。
どちらもエチケット違反は同じで、本人は悪気なく、ただそれがマナーに反することに気づいていないだけです。
ホテルなら従業員が丁重に声をかけて教えてくれますし、声をかけられた人もそれに目くじらをたてるような人はあまりいないでしょう。

でも、車中泊の旅先ではそんな風に誰も声をかけてはくれませんし、もし誰かが声をかけたなら、「ワシの勝手やろ!お前に言われる筋合いはない。放っとけや!」と、まあおそらくケンカ勃発です。


この差は何でしょう?
ここに大きなテーマが隠れているような気がします。


車中泊は自分たちで行く先も泊まる場所も決められる自由な旅です。そこが車中泊の最大の魅力なわけですが、この「自由さ」は「どこで何をやっても許される」という自由とは根本的に違うものです。
ここを間違えると、何でもありルール無用の傍若無人な車中泊をする人があちこちに出てきてしまって、そんな一部の人の心ない行いのために、車中泊全体が白い目で見られてしまうということが起こります。


車中泊の自由さは、社会的なルールはもちろん、一般常識やマナーの上に成り立つ、良識ある大人の振る舞いの範囲内での自由であるということを、私たちは理解しておく必要があります。

特に、私たちが車中泊でお邪魔する場所の多くは、素晴らしい自然がたくさん残されている地方の土地であり、そこには、昔からそこで暮らしその地域を守ってこられた地元の人たちの日常があります。私たちがもし「旅の恥はかき捨て」とばかり、そこにゴミを放置したり、勝手に火を焚いたり、どんちゃん騒ぎをやり出したりしたら、どうなるでしょう?

そこまで極端な行いはせずとも、車中泊という行為はそれ自体が人々の目には多少奇異なものに映るので、世間の目には「車に寝泊まりして自由に行動するヒッピーのような人たち」
という印象を持たれがちです。


車中泊では車の中がマイハウスです。
ところが旅なれてくると、車の中だけでなく、車を停めているその場所全体が自分の家の敷地のような感覚に陥りがちです。
そうした勘違いが、そこのトイレや洗面やベンチや東屋を、自分の家の一部のような感覚で使ってしまうという間違いを起こしかねません。


たまたまそこを訪れた他者は、まるでそこで暮らしているかのような車中泊びとの姿を見て、その人の見てはいけない生活の様子を見せられたような感じになります。
見ている方が恥ずかしくなるような、見てはいけないものを見てしまったような、「不快な感じ」です。


そのように、私たちの常識は違う角度からみれば非常識に映るんです。

こうした世間の目があるということを、私たちは十分わきまえて行動しなければなりません。


「車中泊禁止」

の看板が掲げられた道の駅があります。
悲しい事ですが、そうせざるを得なかった過去のエピソードがあるのでしょう。


法的に、道の駅における車中泊禁止が合法か?という議論は私はあまり好きではありません。
たしかに法律上、道の駅を車中泊禁止にする権利はないのかもしれません。
誰でも自由に使っていい道の駅のはずですから、たしかにその通りなんですが、やはりその「誰でも自由に」は、自由の部分を履き違えてしまうとそこにトラブルが起こります。



その日限りの迷惑を置いて、私たちは翌朝にはその地を去っていきますが、置き去りにされた「迷惑」はずっとその地の人々の心の中に残ります。
その積み重ねが「車中泊禁止」という形となり、車中泊という文化が社会から弾き出されてしまうことを私は一番危惧しています。


かつて、サーファーが同じようなつらい思いを味わってきたのと同じことが車中泊にも起ってほしくありません。


車中泊人口はこれからもっと増えていくと思います。それはとても素晴らしい旅のスタイルであり、もっと裾野が広がっていけばいいと思います。

車中泊というあり方が、世の中からごく当たり前に受け入れられることを願っています。


誰も見ていないようでも、ちゃんと世間の人々は見ています。
結局、自分自身の中に良識の枠を持っておくしかないのだと思います。


車のドアを開けたら、そこは公共の場。




最後まで読んでいただきありがとうございます。

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