ハイエース4人家族で車中泊〜ナローボディでも快適なバンライフを〜

ビルダーのカスタムはとても素敵だけれど、紹介写真には荷物が載っていない。実際の車中泊は荷物との闘い。狭苦しい車内をいかに効率的に収納を工夫するか、4人家族でも楽しく快適なバンライフが送れるブログをお届けしています。

カメラ、じゃなくて写真の話し

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ナローボディのハイエースをいろいろ工夫して、家族4人で車中泊やバンライフを楽しんでいます。

今日は少しばかり写真のお話しをしてみたいと思います。

アマチュアカメラマンだった父

1937年(昭和12年)生まれだった父は若いころからカメラ好きで、私たち子どもができてからも気が向けばカメラやレンズを触り、歳老いて歩けなくなるまで写真撮影が趣味でした。
デジカメが出回る前のフィルム全盛時代。本当は自宅に暗室を作って自分で現像したり、カメラやレンズももっといろいろな機材を持ちたかったんだろうと思いますが、父の撮影機材はアサヒペンタックスの一眼レフが1台と交換レンズが2~3本というささやかなものでした。母はよく父のことを「道楽者、お金もないのにカメラばっかり」と罵っていましたが、今思えば、道楽者というほどの極楽とんぼでもなく、父なりに自分の甲斐性の範囲でつつましくカメラを楽しんでいたように感じます。戦後間もない時代だっただけにカメラを趣味にすること自体が庶民には分不相応に映ったのかもしれません。


そんな父からカメラや写真の話しを聞いて育った私は、中学2年のころに父がお下がりで譲ってくれたカメラで写真を撮るようになりました。
露出の話し。被写界深度の話し。ホワイトバランスの話し。。。カメラと写真に関するあれこれを父はいろいろ教えてくれました。寺社仏閣や花の写真が好きだった父はよく、黒つぶれしがちなシャドウをいかに粘るか(シャドウ部分の諧調表現)が写真の腕の見せ所なんだと語っていました。今のようにあとからいくらでもパソコンで編集できるというわけにいかなかった時代でしたから、「写真というのはシャッターを押す瞬間に全神経を集中するもので、やみくもにシャッターを切るもんじゃない」というのが父の口ぐせでした。
たしかにフィルム時代の写真撮影は、1本のフィルムを買って、撮り終えたら写真屋さんに持ち込んで現像とプリントをしてもらう。それぞれにお金がかかります。フィルム代と現像代を合わせるとL判サイズ1枚あたり60~70円くらいかかったでしょうか?今のようにシャッターを押してすぐに写り具合を確かめることもできませんから、トライ&エラーに対して時間とお金が今よりずっと沢山かかりました。絞りを何段階か一度に撮るブラケット撮影なんて、勿体なくて気軽に使うことはできません。

カメラの話し・写真の話し

カメラって、何だかとても不思議な道具だと思うんですよね。
例えば料理人にとっての包丁、大工さんにとっての金づちやのこぎりみたいな、いわゆる「道具」なわけですが、料理人や大工さんは道具を大切にはするけれどここまで熱心に道具の話しをしたりはしません。でも、カメラを撮る人は「写真の話し」よりどちらかというと「カメラの話し」や「レンズの話し」にものすごく花が咲きます。つまり、道具論や技術論の方につい話しが向かいがちということです。
なぜなんでしょうね?


それは一つには、写真のでき不出来が機械に依存する部分が多いから(あるいは多いと思っている部分が大きいから)かもしれません。こんなレンズを手に入れたから、こんな写真が撮れる(はず)という幻想。
カメラやレンズメーカーの商売っ気にまんまと引っかかってしまっているのかもしれませんが、たしかに写真撮影にはカメラやレンズを使いこなす知識や技術が必要なのは事実ですし、カメラやレンズの性能を最大限引き出すことでより美しい写真が撮れることは間違いないと思います。


でも、写真ってそれがすべてではないような気がするんです。
もっと単純に、「そこにある何かを切り取っただけ」なのに、「ヘタだけどものすごく心惹かれる写真」と出会ったりすると、もう完全にやられてしまうわけです。
SNSなど、巷に写真があふれかえっている時代、心惹かれる写真はプロが高級機材で撮ったものだけとは限りません。


エモい写真とは?

近ごろ「エモい」がキーワードになっていますが、「エモーショナル」=感情的、つまり「抒情的な、情緒豊かな、感情に訴えかけてくるような」という感じをエモいは表していると思います。
ただそこにある事実を写しとっただけの写真でも、その一瞬の中に、何かしら感情を動かされるものを感じるから、人はその写真をエモいと思うわけです。


じゃあ「エモい写真」って、具体的にどんな写真なんでしょう?
見た人がその写真の中に何かしら「懐かしさや切なさや、心を動かす感動を感じるような」写真。
うーん。
では、写真の中にある「懐かしさ」「切なさ」「心動かす感動」って何なんでしょうか?

1つは写真の中の「色合い」

「フィルムライクな」ということばが表すように、デジタル全盛の今、あらためて「昔ながらのフィルムで撮ったような」色合いの写真を見ると、人々の心に懐かしさを呼び起こします。デジタル画像しか知らない人でさえフィルム写真の中にどこか懐かしさを感じるみたいです。やはり、フィルムっぽい色合いはそれだけでもう懐かしさを喚起させるものを持っているということなのですね。

例えば空の青さ。
デジタル写真の空の青は、まさに映像そのもののようなくっきりした青さですが、それと比べると、フィルムの青空は少し褪せた青だったり、ターコイズかかったくすんだ青だったりします。決して本物の空の色とは違うけどフィルムに焼き付けられた空って、どこか懐かしい感じを想起させる。それがエモさにつながっているというのはあると思います。


例えば少し黄みがかった白。
フィルムっぽい昔の写真は、白が純白ではなく少しくすんだ色合いになります。全体にアンバー系(土気色)の色合いの写真はどことなくレトロ感を醸し出すようです。


時の経過を感じるエモさ

もう一つのエモさは「時の経過」。被写体そのものが昭和っぽいレトロ感だったり、朽ちたベンチとか、剥げたペンキだったり。風雨にさらされて、時を越えてそこにある感じが、写真の中に「時の経過」を感じさせてくれます。
でも、ただそれがあるというだけでは人はエモいと感じないと思うんです。大事なのは、その朽ちたものから発せられるメッセージ性、そこに人はエモさを感じるんだと思います。

エモさの中身は

別にエモいにこだわる必要はないんですけど、私たちが写真を見て何かを感じる瞬間があるとします。
写真を見て私たちが感じる何かと、撮影者自身がその時感じたものがもし同じだったとしたら、それはものすごいことじゃないでしょうか?
写真を撮った人がその時見た景色。その景色を見てその人は何かを感じて、シャッターを切った。
その人が感じた「何か」がファインダーを通じて切り取られ、作品となって人々の前に写し出され、それを見た人々の心にまた「何か」が呼び起こされる。


私は写真から発せられるこの「何か」こそが、写真の意味のような気がします。
写真というのは写実なのでどうしても視覚中心に考えがちですが、撮影者がその時に五感で感じたものが、その写真の中から伝わってくる。それこそがエモさといわれるものの正体ではないかと思うんです。
逆の言い方をすれば、私たちが人に訴えかけるようなエモい写真を撮ろうと思ったら、私たち自身がその風景と向き合ったときに、まず「感じる」こと。つい、いい写真を撮ってやろうとか考えがちですが、そうじゃなく、まず「感じる」こと。

「きれいだな」「かっこいいな」「すごいな」「かわいいな」「さわやかだな」・・・。
その景色やその被写体を見た時に自分が感じたフィーリングをまず言葉にしてみて、より具体的にフィーリングを感じた部分に視点をフォーカスしていくと、自然と切り取り方が





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